よもやま話

日常の生活の中で生きるヒントを見つけたいと思います

福井県自然保護センター 失われゆく生物多様性

先日 福井県大野市自然保護センター

の「野鳥レストラン」に行き
野鳥を観察しました

このブログでは
自然保護センター内に展示してある
標本や剥製を紹介します

白い壁に面したコーナーには

絶滅の危機に瀕している生物が
展示してありました

また「失われ行く生物多様性」と題した
パネルもありました


パネルの言葉を読みながら
考えてしまいました

生物の多様性が失われていくとき
人間の多様性も失われていくのではないか

それは随分生きにくい世の中だろうと
思います

 

失われ行く生物多様性

野生生物の中には、
絶滅の危機に瀕している種が
少なくありません。

これらの生物の生息・生育を脅かす要因は

さまざまですが、
そのほとんどは
人間活動の膨張によるものです。


絶滅の速度が
かつてないほどに加速している現在

それを防ぐことは
緊急の課題となっています。

このコーナーでは(※)、
福井県で今まさに絶滅の危機にある

野生生物を紹介しています

(※)白い壁に面したコーナー

 

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朝倉氏遺跡博物館 ジオラマ

2022(令和4)年10月に開館した
福井県一乗谷朝倉氏遺跡博物館

館内展示物などをすこしずつ紹介します
今回は基本展示室 
城下町の様子を立体的に再現したジオラマです 


 















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冬の日本海 弁慶の洗濯岩

福井県越前海岸 弁慶の洗濯岩に打ちつける波しぶき

真冬の日本海はとても迫力があり、圧倒されるような力強さがあります。
2016.01.15~16

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冬の日本海と難度海(なんどかい)

2014年から2021年まで、1月15日~16日越前海岸沿いにある寺院のご法座に寄せていただきました。

ご住職をはじめ院内の皆さまはとても親切な方ばかり。
海の幸を沢山頂きました。とても美味しかった。休憩の時の甘酒で身体も心も温まりました。

参拝された方との距離も近く、会話をしながらとても和やかな双方向の法座でした。「法話の途中で質問したり話しかけてもらってもいいですよ」そんな前置きをして話をしています。

質問や要望の内容によってその後の法話の内容も変わります。法座はlive、臨機応変でいいのです。結論は先に与えられているのですから。

 

『ただ念仏のみぞまことまことにておはします』歎異抄

人生そのものが法座だと思います。予期せぬできごとがおきます。冬の天候のように急変することもあります。

冬の天候はとても厳しく1月ともなれば雪も降ります。何度か大雪警報がでたなか
で出向したことも。無事に行くことができるかとても心配でした。片道2時間かかったことも。

往復の途中で何度も車を止めて日本海をながめては撮影。水仙を見つけてまた撮影。日本海に夕日が沈む情景はなんともいえません。周りが山に囲まれたところで生活する私にとってはとても新鮮です。

また真冬・大時化(おおしけ)の日本海はとても迫力があり、圧倒されるような力強さがあります。「難度海(なんどかい)」そんな言葉が思い浮かんできます。

思えば私たちの人生もまた「難度海」ですが、難度海を渡る大きな舟が阿弥陀さまの誓願です。

そういえば親鸞さまの書物には何度も海という言葉がでてきます。
法座も自ずと海の話しになりました。

 

高僧和讃 浄土真宗聖典(註釈版)578頁
生死の苦海ほとりなし
ひさしくしづめるわれらをば
弥陀弘誓のふねのみぞ
のせてかならずわたしける



日本海に沈む夕日 2021.01.16

真冬 大時化(おおしけ)の日本海 2017.01




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いわさきちひろとシクラメン

シクラメン(和名かがりび花) 2022.12.21 福井市

赤いシクラメンの花は
きょねんもおととしも 
そのまえのとしも
冬のわたしのしごとばの紅一点
ひとつひとつ
いつとはなしにひらいては
しごとちゅうのわたしと
ひとみをかわす。


きょねんもおととしも 
そのまえのとしも
ベトナムの子どもの頭のうえに
ばくだんはかぎりなくふった。


赤いシクラメン
そのすきとおった
花びらのなかから
しんでいったその子たちの
ひとみがささやく。


あたしたちの一生は
ずーっと 
せんそうのなかだけだった。


岩崎ちひろ・作『戦火のなかの子どもたち岩崎書店 より

 

いわさきちひろ
福井県越前市で生まれました
東京大空襲も体験しています 
シクラメンの花が
平和のかがりびに
なればよいのですが・・。


優しさと悲しさは
切り離すことができないようです

 

参考図書
『雪の降る朝 -岩崎文江と娘ちひろ-』上坂紀夫著


ちひろの生まれた家」記念館
https://chihironoie.jp/profile

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昭和の思い出 懐かしい餅つきの風景

昭和40年代頃までは12月26日~29日ごろに

旧庫裏の玄関で餅つきをしました

歳末の年中行事です

鏡餅は30枚弱ついたでしょうか
そのあとは白餅 豆餅 こごめ餅 かき餅など
をつくりました

また その場で

きな粉餅やおろし餅などにして食べました

 

餅米は前日から下準備をして

当日は囲炉裏の隅にある竈(かまど)で

蒸籠(せいろ)に入れて蒸しました

囲炉裏に八升鍋を置き

四角い蒸籠(せいろ)を乗せたことも・・
蒸し具合を確認するのは前坊守

杵をもち 餅をつくのは近所の方です

かき餅は細く切り藁で編み

天井から幾つもぶら下げ

冬期のおやつになります

焼いたり油であげたり

 

固くなった餅は

1月中旬以降になると水につけて保存し

水餅(みずもち)として食べました

昔の記憶ですから

思い違いがあるかもしれません

 

大人は本当に大変ですが

子どもの私にはとても楽しみな行事でした

蒸しあがった餅米のにおい

つきたての餅の味

なんとも懐かしく思い出されます

 

昔の写真で退色していますし

築100年近くの古い庫裏は

どこからでも隙間風が入り

屋内はとても乱雑です

 

でも囲炉裏のまわりは

私の懐かしい原風景です

火の番をしながら 

いろいろな空想を思いえがく場所でした


旧庫裏玄関土間での餅つきの様子

餅をつくのは近所の方 臼とりは前坊守

半日 杵(きね)の音が響いていました
ぺったん ぺったん ぺったん

 

 

餅米を蒸籠(せいろ)にいれて竈(かまど)で蒸すところ
坊守が蒸し具合を確認し調整しています

 

高く重ねた蒸籠(せいろ)

 

旧庫裏の囲炉裏(いろり)

囲炉裏の火の番をしたり

焚(た)き付けをするのは

子どものときの私の仕事

左奥には裏山からとってきた

薪(たきぎ)がたくさんあります
薪(たきぎ)集めも子どもの仕事でした

枯れた杉葉は焚き付けの時に必要です

左隅にあるツボは消し壺で

燃え残った炭を入れて消し炭にします

囲炉裏(いろり)の様子

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無量(むりょう)のいのち

この瞬間だけの秋桜 花のなかにkosmos(宇宙)があります 
2022.09.21 13:52


昨年まで花のことなど
全く知らなかったのですが
今年一年 
多くの人 多くの花 から
さまざまなことを学びました

私たち一人一人が一輪の花ならば
それぞれが掛け替えのない

世界で一輪しかない
花なのだろうと
思います

いのちの尊さを量(はか)る
ものさしは無いのでしょう

量(はか)り知ることができず
人間の思慮分別(しりょふんべつ)のおよばない

いのちの尊厳

どの花も輝いています

2022.12.23

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金子みすゞさんを訪ねて

金子みすゞさんの詩には、

力の弱いもの 小さなもの、

名もないもの 忘れられているものに対する

やさしい眼差しがあります。

声をあげようとしても 声をあげることのできなものの、

声を聞こうとすることが 大切なように思います。

「いのちのつながりを」見つめていく視点も大切です。

それは仏教の縁起にもつながるものかもしれません。

幼いときから、
朝晩お仏壇にお参りする環境で育ったことが、
彼女の作品に影響を与えたのかもしれません。

「大漁」の朗読を最初に聞いたときには衝撃を受けました。
弱い魚、鰯(いわし)の視点で

いのちのつながりを見ているのでした。

深い悲しみにつつまれた優しさです。

悲しさを知っているから優しくなれるのでしょう。 

 

2010年12月16日
思い立って山口県長門市仙﨑に日帰りで行き
「みすゞ通り」を散策しました。

列車に乗り時刻表を見ながら、
次の乗り継ぎ探すような旅でしたが無事に到着。
福井-新大阪     サンダーバード
新大阪-厚狭(あさ)  新幹線のぞみ
厚狭(あさ)-仙﨑  美祢(みね)線

仙﨑は日本海に面する漁港で、
北陸と似たような環境でした。

2010年12月16日は

今日と同じように寒い日でした。

 

この仙﨑でみすゞさんは育ちました。

当時の金子文英堂を再現してあります。

 

仙﨑の金子文英堂

金子文英堂(書店)

金子文英堂(書店)

みすゞさんが母や祖母と暮らしていたところ。
この部屋からどんな風景を見ていたのでしょうか。

金子文英堂の2階

金子文英堂の2階

金子文英堂2階で明治43年~大正3年の間

歎異抄の勉強会が開かれていました。

みすゞさんが小学校に入学してから卒業までの時期です。
彼女もそばにいて聞いていたのかもしれません。

金子文英堂の2階

お風呂場

「時にや隣(となり)の花びらが、散ってお船になってくれ」
こんな花びらのお船を写真を撮りたいものです。

詩「お風呂」

背戸の庭には橙(だいだい)があったのでしょう。

背戸の庭

詩「橙(だいだい)の花」 

みすゞさんの年譜

「みんなちがって、みんないい」

詩「わたしと小鳥とすずと

詩「こころ」

遍照寺までの標識

みすゞさんが歩いたこの通りを歩きました。下駄の足音が聞こえてくるようです。

「みすゞ通り」の様子

「角の乾物屋」

「みすゞ通り」にある極楽寺

「みすゞ通り」にあるお寺

お寺が多い通りでした。

「みすゞ通り」にある西覚寺

「みすゞ通り」のお寺

「みすゞ通り」のお寺

「みすゞ通り」のお寺

「みすゞ通り」のお寺

「みすゞ通り」のお寺

遍照寺 金子みすゞさんの墓があります

「みすゞ通り」の一番奥にある遍照寺。
みすゞさんがいた当時は十一間四面の本堂だったようです。
みすゞさんは母や祖母に連れられて何度もお参りしました。

遍照寺

私も本堂でお参りをしました。

遍照寺内陣

「お魚」や「大漁」の詩はこの海を見て作ったのかもしれません。

仙﨑漁港

仙﨑漁港

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福井県の報恩講料理

寺院報恩講での賄いといえば
報恩講料理が定番ですが、
家庭報恩講の定番も報恩講料理でした。

私が住む鯖江市片上地区では以前、

家庭報恩講(ほんこさん)で
各家に親戚や近所の人も集まる、
「よび戸」といわれるような

ことをしていました。

「よび戸」は私が法務を始めた

昭和50年代までは一般的に行われていました。

その時振る舞われるのが報恩講料理です。

報恩講料理で厚揚げは定番で、
福井県の厚揚げ消費量が全国一の理由は、
そのことにもあると思います。

※厚揚げのことを「あぶらげ」と呼んでいます。

また必ず小豆は使いました。
親鸞聖人は小豆が好きだったと言われているからですが、
詳しい由来は分かりませんがこれは全国共通の伝承のようです。

食事の際は漆塗りの御膳とお椀を使いました。
漆塗りといえば鯖江では河和田塗りです。

ローカルな話しですが、

鯖江市片上地区大正寺の方が作った豆腐や油揚は絶品でした。

お勤めが終わったあと住職が法話をする
御座(おざ)があった家もありました。

御座(おざ)が終わると囲炉裏のまわりに集まり、

お茶を飲み漬け物を食べながら話しに花が咲きました。

話しが途切れたとき自然とお念仏の声が聞こえます。

囲炉裏の火を見ていると沈黙の時間も大切に思えてきます。

 

家庭報恩講は農作業が一段落した時期の楽しみでもありました。
とくに子どもにとっては。

思い出しながら記しています。
記憶違いもあるかもしれません。

報恩講料理は地域によって違いがあります。

そういえば石臼の上に大豆を置き木槌でたたき、

打ち豆をつくる手伝いをしました。

打ち豆は味噌汁に入れます。

また、母は報恩講のまえになると「おはづけ」を作っていましたが、
私は母の作る「おはづけ」が大好きでした。


報恩講料理ではないですが、

厚揚げの炊込み御飯(あぶらげめし)もよく食べました。

 

もう一つ余談ですが高校を卒業して県外に行ったとき、

四角い厚揚げが福井県特有のものであることを初めて知り驚きました。

 

福井の報恩講料理
1.ご飯 
2.厚揚げとじゃがいも、ナスの煮物 
3.ぜんまい
4.つぼ(里芋+あずき)
5.すこ(里芋の茎の酢漬け)
6.麩ときゅうりのカラシ和え
7.冬至南瓜 
8.冬瓜の煮物 
9.味噌汁 打ち豆が入っていることもありました
10.お茶(番茶)
その他に「おはぎ」を振る舞う家もありました。

 

戦争体験者の声

千屈菜(ミソハギ
四方谷町に咲いています


私は昭和53年(24歳)からお寺の法務をしていますが、昭和50年頃をふり返って思うことがあります。

当時のご門徒のなかには太平洋戦争で悲惨な体験をした方、親族が戦死した方、福井空襲を体験した方、シベリアに抑留された方などが多くいました。

今、思い返してみると、人に言うことができないような辛い体験をして、救いを求めてお寺にお参りされていた方も多かったのではないかと思います。

門徒宅にお参りをしたときや、本願寺福井別院で戦争体験をお聞きしたこともあります。「戦争は絶対にだめだ」という声も確かに聞きました。

本堂に座って阿弥陀さまの願いを聞き、先人達の思いや平和の大切さを、次の世代に伝えていきたいと思っています。

福井空襲で焼失する前の本願寺福井別院
『今日の窓』若龍会編

 『福井空襲70年』
 ◇福井空襲の状況 1945.7.19
  福井空襲 
  1945(昭和20)年
  7月19日夜10時55分より約2時間。
  B29爆撃機127機による
  無差別絨毯(じゅうたん)爆撃で、

  多くの非戦闘員が殺傷された。
  
  福井城址北西付近を中心に
  半径1.2㎞の範囲が標的となった。
  焼夷弾の数10万発以上
  死者1576人  
  西別院前の川での死者数40~50人以上?
  西別院境内防空壕死者数  ?人
  西別院境内での火葬者数378人
      被災者93,038人  被災者率93.2%

   焼失戸数  23,086戸  焼失率96.0%

『あれから30年 '75『福井空襲展』アンケートのまとめ』   
 福井空襲史刊行準備会発行
【福井空襲展会場で被災者の
 写真パネルの横に掲示してあった説明の文章】 
  あなたは語らない
  あなたは叫(さけ)ばない
  いま
  こうして
  あなたの姿がよみがえる
  あなたの声が聞えてくる
  あなたのうめきが
  きこえてくる
【アンケートに書かれていた言葉】
  西別院前の悽惨な様子は、
  言語に絶する地獄絵図であった。(66才)

 

 

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大人の遠足

巨大ノスタルジオラマ 敦賀


夫婦で敦賀市敦賀赤レンガ倉庫・ジオラマ館へ行きました。

昭和の雰囲気が漂う昔懐かしいノスタルジオラマ館に「きかんしゃトーマス」やバスが走っています。

写真撮影は自由だということだったので、二人でトーマスやバスを追いかけ館内を右往左往しましたが、とても楽しい時間を過ごすことができました。若いスタッフの方も私たちの様子を見て微笑んでいたようです。

小学生の時、遠足で北鯖江駅からSLに乗って敦賀まで行ったことを思い出しました。汽車の窓を開けておにぎりを食べていたときトンネルに入り、顔もおにぎりもすすだらけになったことも・・・。北陸トンネルが開通する前のはなしです。

大人の遠足も楽しいものです。

2022.07.26

 




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福井県年縞博物館を訪ねて

福井県年縞博物館

福井県年縞博物館
福井県三方上中郡若狭町鳥浜の福井県年縞(ねんこう)博物館に行きました。周囲の環境も館内も、素晴らしい施設だと思います。職員の方も丁寧に展示物の説明をしてくださいました。

世界水準の年代のものさし
ここには、世界のどこにもない7万年分・45mの「ものさし」が展示してあります。水月湖の湖底に堆積している年縞は、考古学などで年代を決定する「世界水準の年代のものさし」になっているということです。

年縞の実物を見ながら、同時に人類や地球環境の7万年の歴史を学ぶことができます。

年縞の説明


日本史と年縞
私は日本史が大好きですが、この年縞には当然の事ですが、お釈迦さまの時代の年縞や、鎌倉時代室町時代の年縞も含まれています。

日本の中世では、異常気象などで数百万人規模の人が餓死するというような大飢饉が、何度かありました。そのことは庶民が宗教に救いを求めたことと、無関係ではありません。

そのような歴史的事実の背景にある、地球環境・気候の変動を知る手がかりになるかもしれないと思いました。

私の住んでいる地区には縄文時代の遺跡がありますが、その当時の環境や暮らしも想像できるような気がします。

とてもスケールの大きい「ものさし」です。興味は尽きません。


帰りには
帰りには『解説書』とグッズを購入しました。ロゲットカードもいたたきました。

 

ロゲットカード

オリジナルグッズ


2022.07.26


心を傷つけるもの

理容店の壁に掲示してある 直筆の言葉


私は職人さんの話を聞いたり道具を見せていただくのが好きです。兼職で写真現像業を営んでいたときは、業務用機械のメンテナンスは自分でしていました。長年使っていた機械には愛着もでてきます。手になじんだ道具もあります。

私自身にも職人気質(かたぎ)の一面があると思います。         

そのようなわけで、道具を見れば職人さんの歩んで来た人生を、かいま見ることができるように思えます。

私は散髪をするとき、いつもご門徒の理容店を利用しています。先日、散髪をしていただいた後、お願いをして長年使っておられる道具を見せていただきました。今、私の髪を切ったハサミです。

親の代から使っておられるハサミや砥石は、長年研いできたためすり減っています。ハサミも砥石も今では手に入らないものもあります。見せていただいて、ご門徒さんが誠実で実直な人生を歩んでこられたことがよく分かりました。

今年で90歳。現役で仕事をしておられます。ハサミを持つ手も確かです。
仕事を続けておられる理由を尋ねると「人と会い会話をするため」と言われました。
長いお付き合いですが、まだまだ学ぶことがあります。

壁に掛けてある鏡は百年間使っている鏡。この鏡はどれだけ多くの人の姿を映してきたのでしょう。子どものころから来ておられる常連さん達が、連名で書かれた感謝状もあります。


壁には、直筆の言葉も掲げられいました。

言葉は 刃以上 
人の心 傷付ける

時に口・言葉は 刃以上に
人の心を 傷付ける

言葉の
消しゴムは 無いのです

善意も 
悪と化すこと 少なからず


相手の身になり 何よりも 
言葉を

発する前に 心得る


数十年の間、研ぎすまされたハサミや剃刀を、手にしてこられた方の言葉です。

深く肯(うなづ)いて店をでました。

 

親の代から使っている砥石
今は手に入らないそうです

 

長年研いでいるので刃がすり減っています
手になじんでいます



切り込みが両刃にあるハサミ
今は無いそうです



 

藪 萱草(やぶかんぞう)

藪萱草(やぶかんぞう)2022.07.13撮影


いままで藪萱草(やぶかんぞう)はそんなに好きな花でもありませんでした。しかしこの写真の花を見てから印象が変わりました。

私が今まで考えていた美しい花ではありません。しかし、常識や形式美を打ち破るような力強さや存在感があるように思います。藪のなかで咲く野趣の豊かさが感じられます。

カタカナで標記するより『藪萱草』と漢字の名前で標記した方があうようです(人名のようです)。

藪萱草は有史以前に中国から渡来して古代から万葉集にも忘れ草として詠まれているということです。

花の色は萱草色(かんぞうしょく)という伝統色として伝えられています。日本古来の色です。藪萱草(やぶかんぞう)は古(いにしえ)から日本人の暮らしのなかで親しまれてきたのでしょう。人間と同じように花にも歴史があるようです。