金子みすゞさんの詩には、
力の弱いもの 小さなもの、
名もないもの 忘れられているものに対する
やさしい眼差しがあります。
声をあげようとしても 声をあげることのできなものの、
声を聞こうとすることが 大切なように思います。
「いのちのつながりを」見つめていく視点も大切です。
それは仏教の縁起にもつながるものかもしれません。
幼いときから、
朝晩お仏壇にお参りする環境で育ったことが、
彼女の作品に影響を与えたのかもしれません。
「大漁」の朗読を最初に聞いたときには衝撃を受けました。
弱い魚、鰯(いわし)の視点で
いのちのつながりを見ているのでした。
深い悲しみにつつまれた優しさです。
悲しさを知っているから優しくなれるのでしょう。
2010年12月16日
思い立って山口県長門市仙﨑に日帰りで行き
「みすゞ通り」を散策しました。
列車に乗り時刻表を見ながら、
次の乗り継ぎ探すような旅でしたが無事に到着。
福井-新大阪 サンダーバード
新大阪-厚狭(あさ) 新幹線のぞみ
厚狭(あさ)-仙﨑 美祢(みね)線
仙﨑は日本海に面する漁港で、
北陸と似たような環境でした。
2010年12月16日は
今日と同じように寒い日でした。
この仙﨑でみすゞさんは育ちました。
当時の金子文英堂を再現してあります。
みすゞさんが母や祖母と暮らしていたところ。
この部屋からどんな風景を見ていたのでしょうか。
金子文英堂2階で明治43年~大正3年の間
歎異抄の勉強会が開かれていました。
みすゞさんが小学校に入学してから卒業までの時期です。
彼女もそばにいて聞いていたのかもしれません。
「時にや隣(となり)の花びらが、散ってお船になってくれ」
こんな花びらのお船を写真を撮りたいものです。
背戸の庭には橙(だいだい)があったのでしょう。
「みんなちがって、みんないい」
みすゞさんが歩いたこの通りを歩きました。下駄の足音が聞こえてくるようです。
お寺が多い通りでした。
「みすゞ通り」の一番奥にある遍照寺。
みすゞさんがいた当時は十一間四面の本堂だったようです。
みすゞさんは母や祖母に連れられて何度もお参りしました。
私も本堂でお参りをしました。
「お魚」や「大漁」の詩はこの海を見て作ったのかもしれません。