よもやま話

日常の生活の中で生きるヒントを見つけたいと思います

『サンダカンまで 私の生きた道』 山崎朋子著を読んで

1.山崎朋子と片上小学校


福井県出身のノンフィクション作家で、女性史研究家としても知られる山崎朋子さんは『サンダカン八番娼館』では、大宅壮一ノンフィクション賞受賞した方です。

彼女は21歳のときの、1953(昭和28)年4月から1954(昭和29)年3月まで、福井県鯖江市・片上小学校(かたかみしょうがっこう)の教諭をして3年生の担任をしていました。

この本には彼女の波乱に満ちた生涯が記されていますが、そのなかで鯖江市・片上小学校の教諭をしていたときのことについては、ほのぼのとしたエピソードが綴られています。当時の教え子だった方もおられるはずです。

また、その当時のことが詳細に記されていて、教諭として生徒たちにいかに慕われていたのかがよく分かりました。
また、当時の片上地区で暮らす子ども達の素朴な様子も、詳しく書かれています。

学校から家に帰ったあと、焚木(たきぎ)集め・風呂の水汲(みずく)み・子守・畑の草取りなどを為ているのである。そして自身のおやつはというと、春はすかんぽ、いたどり・木苺・茅萱(ちがや)の若穂など、秋は山柿・山梨・栗・あけびなどを採って済ませているのだった。

『サンダカンまで 私の生きた道』
 山崎朋子著 朝日文庫

 

2.70年前の暮らし

私は昭和29年2月生まれなので、私が生まれたときにはまだ片上小学校に在籍していたことになります。
本に書かれている当時の子ども達の暮らしや遊びは、私自身の子どものころとそんなに変わっていません。

当時、我が家の風呂は五右衛門風呂だったので風呂の水汲みもしたし、風呂や囲炉裏の火を燃やすための焚木集めもしました。片上地区では「たきもんひろい」といっていましたが。囲炉裏の火の番は子どもの仕事。渋柿は母親ととりました。私が先端を二股にした竹で、柿の小枝を挟みながら回し柿を絡めて、母親が手に持つ籠に入れます。
編み物をほどいた毛糸を母親と協同作業で大きな玉にしたり。

栗は木に登り小栗でも食べたように記憶しています(ほとんど食べれそうなところがなくても)。栗のイガを片足で踏みつけ、棒を使ってイガをとります。そして薩摩守で皮をむいて食べる。とにかく何でも食べれそうなものは食べてみました。銀杏は石で叩きたき火の中に入れて焼く。石で叩かないとボン!と破裂します。

スキーは手作りの竹スキー。蝋燭の残蝋をスコップの上に乗せ焚火で温めて溶かした後、スキーの底に塗ればよく滑る。冬はたこあげや独楽廻し。

 

3.底辺人間史


さて本題にもどります。

山崎朋子のその後の人生についても共感できます。
「サンダカン八番娼館」文春文庫も読みはじめていますが。著者が底辺女性史をライフワークとしていたことに共感しています。

私は歴史が好きですが、勝者や勇者の歴史ではなく、底辺に生きる庶民や挫折した人の歴史が好きです。歴史に名を残さない、そんな人びとにも歴史があります。声をあげられない人にも心の声があります。底辺人間史といってもよいと思います。

よく考えてみると、この地球自体が生きとし生けるものすべての「墓」だとも思えてきます。

生き倒れになった人、餓死した人、戦死した人、そして誰にも葬られなかった人も、無数にいたことでしょう。化石燃料だって古代に生息していた動植物の死骸が地中に埋もれて、長い年月をかけて地熱や地圧の影響を受けて変化したものだといわれています。恐竜だって同じです。現代の私たちはその恩恵を受けているのです。

そんな地球の上にも花は咲きます。

4.社会的弱者

星の瞳(別名オオイヌノフグリ


大地の底辺に咲く野花を撮るのも、地を這(は)うようにして咲く小さな野花と、世のなかの底辺に生きる社会的弱者が重なっているように思えるからです。だから決して尊厳を踏みにじってはいけないと思うのです。社会的弱者にも心には美しい花が咲き、清らかな香りもします。

長い文章になりました。本の続きを読むことにします。

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