麒麟(きりん)でなんだろう?
1.御堂のなかで
京都の西本願寺には何度もお参りしました。法要があるとき以外にも阿弥陀堂や御影堂にお参りします。時には堂内に一人だけのこともあります。
お念仏を称え合掌礼拝した後、かなり長い時間一人で座って、ぼーっとしています。天井が高く、広い空間のなかにいると時間が止まっているように感じます。スマートフォンも見ません。時にはSNSも遮断します。ぼーっとしているのはとても好きです。
そしてその後は、太い柱のまわりを回ったり、柱の年輪を観察したり、柱にさわってみたり。太い柱に手のひらを広げてそっとあてると、木の温もりが伝わってきます。木と会話をしているような気分になります。樹齢数百年の大木が山で茂っていたときのことを想像したり・・。警備の人に怪しまれないように。
この木はどれだけ多くのお念仏の声を聞いてきたのだろう?
この木はどれだけの重さを支えているんだろう?
2.御堂のまわりでは
御堂を出たら外縁の板もながめます。どれだけ多くの参拝者がこの板の上を歩いたのだろう。参拝者を支え続けていた板でした。だれもお礼は言わないけれど・・・。そんなことも想像します。木のすき間を埋める埋め木(うめき)には職人さんの遊び心が溢れています。魚や軍配の埋め木もあります。
それから木組みを見たり彫刻や絵画も観察します。彫刻や絵画には多くの花や動物も彫られたり画かれていたりします。花の種類や名前も気になります。
宮大工さんの話しを聞いたり、宮大工さんの本を読んだりすることが大好きです。正覚寺に来ていただいている大工さんや、瓦職人の方にもいろんなことを質問します。宮大工さんだけではなく、いろんな職人さんの話しを聞くのが大好きなものですから。
3.麒麟(きりん)てなんだろう?
①唐門の彫刻
唐門には唐獅子や麒麟の彫刻があります。
②麒麟(きりん)
麒麟(きりん)
麒麟(きりん)
麒麟といえばビールでおなじみですが、伝説上の生き物だとされています。いったい麒麟とはなんだろう?仏教とどんな関係があるのだろう。相棒の杉下右京ではないけれど「細かいことが気になります」
③一角獣(いっかくじゅう)
角(つの)が一本あるようですが、これがヒントでしょう。古今東西を問わず一角獣(いっかくじゅう)は不思議な生き物とされています。西洋でいえばユニコーンです。
④麒麟(きりん)と犀(さい)
『ブッダのことば』中村元訳 岩波文庫には次のように書かれています。
「犀(さい)の角(つの)のごとく」というのは、犀の角が一つしかないように、求道者は、他の人々からの毀誉褒貶(きよほうへん)にわずらわされることなく、ただひとりでも、自分の確信にしたがって、暮らすようにせよ、の意である。本書のこの箇所に述べられていることは、後代の仏教教学によると、「麒麟の角に喩えらる生活をしている独覚(どっかく)」に相当する。
そのあと中村元さんは、犀のことをなぜ漢訳者は「麒麟」と訳したのかということについて、中国の人たちには犀はあまり知られておらず、キリンのほうになじみがあったからではなかろうかと推測しています。
中国の人はインドの犀(さい)という動物を見た人がなく、該当する言葉もなかったので麒麟(きりん)という言葉に当てはめたのかも知れません。
以前に研修会で仏教学者・佐々木閑さんの講義を聞いたのですが、同じようなことを言われたように記憶しています。
『ブッダのことば』には「犀(さい)の角(つの)のようにただ独り歩め」と言う言葉がくり返し書かれています。「人と優劣を比べることなく、毀誉褒貶(きよほうへん)に左右されずに自分の道を歩みなさい」そんなブッダからのメーセージのような気がします。
ビールを飲むとき麒麟の逸話を考えてみるのもよいのではないでしょうか。酔いが醒めてしまうかもしれませんが・・・。
四方のどこにでも赴き、害心あることなく、何でも得たもので満足し、諸々(もろもろ)の苦難に堪えて恐れることなく、犀の角のようにただ独り歩め。
『ブッダのことば』中村元訳 岩波文庫 18頁
4.飛雲閣と鐘楼
①飛雲閣
飛雲閣(国宝)
飛雲閣は、二層三層と建物は小さくなり、その中心も東に移るという左右非対称ながら巧みな調和を持つ名建築として知られています。三十六歌仙の絵が描かれています。ちなみに京都の三閣は金閣・銀閣・飛雲閣です。
②鐘楼
鐘楼
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飛雲閣の近くには鐘楼があります。