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龍谷大学世界仏教文化センター 研究セミナーに参加して

龍谷大学世界仏教文化センター 研究セミナーに参加して

先日、龍谷大学教授・中西直樹先生より研究セミナーの案内をいただきWeb参加しました。中西直樹先生には以前から正覚寺13代住職・里見了念のことを調べていただいているのですが、かなりわかってきたということです。今回のセミナーでは酒生慧眼の業績が中心でした。

中西直樹先生は正覚寺に調査のため来られたこともありますし、今まで随分多くの書籍や資料を送っていただいています。

里見了念は明治時代にや龍谷大学前身校の一つである「普通教校」や北陸高校の前身校「羽水教校」の実質的校長として創立に深く関わっていました。
今回の資料を見たところ、普通教校出身地別同窓生数では越前が62人と最も多く輩出しています。

本願寺教団を改革しようとした人たちでしたが、教団の保守回帰勢力に阻まれて、次第に教団の歴史からも忘れられていったようです。

その人たちがめざしたのは、教義や経典の理解にとどまるのではなく、教義を社会のなかで、どのように実践していくかを模索していたようです。このことは現代でも大きな課題だといえます。

 

私見 研究セミナーを聞き終えて

なぜ越前からそのように多くの人材を輩出したのか、研究セミナーを聞き終えて考えてみました。

私見ですが明治初期の越前は西洋科学を積極的に導入しようとする機運が非常に強く、藤島高校の前身である藩校の「明道館」や「明新館」では最先端の理化学なども教えていました。当時グリフィスも理化学を教えていました。

そのような状況を作り出すのに大きな影響を与えたのが、幕末の越前藩主松平春嶽橋本左内です。10代で大阪の適塾に学んだ橋本左内は国際社会や世界情勢を冷静に見抜くような見識を持っていました。グリフィスも橋本左内に大きな影響を受けたようです。

グリフィスは朝昼晩と絶えず生徒・学生と接触して、学校では科学、物理、ドイツ語、フランス語、英語会話、実験を教え、家では訪ねてくる学生をはじめ、住み込みの学生に歴史、法律等を話して聞かせ、化学、生物を教えていたようです。

藩校明新館は武士以外にも解放されていたので、おそらく多くの僧侶も学んだり影響を受けたものと推測されます。

グリフィスの生徒の一人に鯖江市松成町満願寺出身の今立吐酔(いまだてとすい)がいます。ペンシルベニア大学に留学した今立吐酔は、帰国後さまざまな要職に就き昭和初期に鈴木大拙とともに『歎異抄』を日本で最初に英訳しました。

北陸高校の前身「羽水教校」もこのような潮流のなかで創立されました。教義の理解だけでなく、語学や科学的知識も学んで世界の仏教徒と交流できる人材の育成を目的としたのでしょう。このことは現在の北陸学園関係者もあまり知らないことだろうと思います。「羽水教校」は「普通教校」の福井版といってもよいのではないかと考えています。

明治期の福井県におけるこのような状況は、周知されていないように思います。明治初期の福井県における護法一揆のことも分からないことが多くあります。

いずれにしても明治期の本願寺教団改革の中心的役割を果たそうとしたのが、正覚寺13代住職里見了念だったようです。

正覚寺13代住職 里見了念略歴 平成29年「正覚寺だより」より

 

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