よもやま話

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正覚寺140年の歴史

1.寺基移転・本堂再建・鐘楼移築140年

正覚寺本堂

▲2023(令和5)年は正覚寺が現在の場所に寺基を移転してから140年の年でした。以前は現在地より下の場所に堂宇があったのですが、1869(明治2)年の四方谷大火で火災に遭い、さらに1873(明治6)年には仮御堂が火災に遭いました。 

▲その後1883(明治16)年に現在地に寺基を移し本堂・庫裏・書院を再建しました。13代住職里見了念のころです。鐘楼は火災を免れて現在地に移築したものだろうと考えられています。

▲重機も電動工具もなかった時代に、どのようにして基礎を築き、木材や石材を運んだのでしょうか。また、どのようにして木材や石材を加工し、釘を使わずに木組みをしたのでしょうか。宮大工や石工の優れた技術はもちろんですが、その多くが門信徒の皆さまが人足として奉仕したものだったのでしょう。正覚寺を支えているのは門信徒の皆さまです。

 

2.御経堂建立140年

御経堂と鐘楼

▲また、今年は御経堂が建立されて140年になります。1884(明治17)年に某氏の寄附により建立されました。建物は見事な彫刻で飾られています。

 

3.織田信長の兵火で全山焼失して450年

四方谷古地図

▲さらに昨年は1573(天正元)年に織田信長の兵火で、正覚寺の前身である妙観寺が全山消滅して450年の年でした。『越前・朝倉氏関係年表』には、天正元年8月18日「信長、府中龍門寺に着陣する。信長の先兵、一乗の谷中、屋形を一として、館々、仏閣僧房、一宇も残さず放火する。3日間焼くという」と記載されていますが、同時期に妙観寺も放火されたのかも知れません。

▲妙観寺の寺跡は今でも字名「妙観寺・みょうかじ」として町内に残っており、古地図を見ると、その東には「門前出」「寺ノ前」などの字名もみられます。この地には200年以上妙観寺が存続していました。数え切れないほどの多くの人が妙観寺に集って仏法を聴聞していたのでしょう。

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