よもやま話

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瓦礫(がれき)の声

万葉館 福井県越前市余川町

文字丸瓦の解説

福井県越前市にある万葉の里味真野苑には四季の花がたくさんあり、多くの人を楽しませてくれます。

でも、その一角にある万葉館に収められている、丸瓦のことを知る人はあまりいないのではないでしょうか。

親鸞聖人750回大遠忌を記念して福井県で貴重な文化財の展覧会が開催されましたが、その時の記念誌『親鸞と福井、ゆかりの名宝 真宗の美』には次のように記載されています。

天正三年(一五七五)越前を制圧した織田信長は、越前中央部の支配拠点である府中に前田利家佐々成政・不破光治の三人衆を置いて地域支配と柴田勝家に対する監察の任にあてた。

小丸城は旧武生市街の東方約五キロメートルに位置する佐々成政の居城。
工事中に偶然発見された瓦で丸瓦二点に文字記載がある。前田利家一揆衆千人を生捕(いけど)り、張付(はりつけ)、釜煎(かまいり)などで成敗したことが記される。

別の一点には人夫を徴発したとみられる広瀬・池上の地名がみられる。いずれも瓦焼成前の粘土の表面に線刻されたものである。
文中の前田利家に対する敬語表現、流麓な書風、別の一点にみられる瓦製作に関する人夫役の記載、「この書付を見て後世に事の次第や結末についてあれこれ話をするように」と勧めていることなどからみて、府中三人衆の立場から越前平定の戦果を記録したものとみられる。

なお戦国畤代張付(はりつけ)・釜煎(かまいり)はしばしば行なわれた極刑で、その他鋸引(のこぎりびき)・串差(くしさし)などの刑罰も見せしめのため行われた(佐藤圭)

出典『親鸞と福井、ゆかりの名宝 真宗の美』真宗の美展実行委員会 2014

 

この文字丸瓦のことを最初に知ったとき、書かれている内容は処罰された門徒たちのことを思い、瓦職人がひそかに線刻したものだろうと思っていました。
しかしそれは『親鸞と福井、ゆかりの名宝 真宗の美』を読んで真逆のことだと分かりました。
府中三人衆の立場から越前平定の戦果を記録したものだというのです。


この瓦には戦国時代、一揆を起こした人たちに対して、言語に絶する凄惨(せいさん)な弾圧が行われたことが記されています。極刑に処された千人の人たちにも、それぞれの人生があったはずです。それぞれに大切な家族もいたのだろうと思います。なぜ一揆を起こしたのか知るよしもありませんが・・・。


歴史に名前を残していないような人々とともに生きようとされたのが、親鸞さまのような気がします。
親鸞さまは「いし・かわら・つぶてのようなわれら」と『唯信鈔文意』に書かれています。「石・瓦・礫(つぶて)」とは瓦礫(がれき)といわれるように、世のなかから価値のない者のようにみなされた、名もなき平凡な人(凡夫・ぼんぶ)を「われら」と呼ばれ、同じ仲間だといわれています。

一部の権力や権威のある人の視点ではなく、世のなかの底辺に生きる人たちの視点に立って、生きようとされたのではないでしょうか。「われら」の視点といってよいでしょう。

権力や権威とは対極におられたのが親鸞さまです。そのことは教行信証の後序(ごじょ)を読めば明らかです。

歴史は勝者・強者の視点で記されていることが多いのですが、社会の底辺に生きる平凡な人(凡夫)・弱者の視点で見ると、全く違う世のなかが見えてくるように思います。

正覚寺天正元(1573)年織田軍の兵火で焼失しましたが、それは朝倉氏が滅亡したときと同じ時だったのかもしれません。

 

天正元年8月18日 信長、府中龍門寺に着陣する。信長の先兵、一乗の谷中、屋形を始めとして、館々、仏閣僧房、一宇も残さず放火する。3日間焼くという。
出典 『越前・朝倉氏関係年表』203頁

 

 

「能令瓦礫変成金」といふは、「能」はよくといふ。「令」はせしむといふ。「瓦」はかはらといふ。「礫」はつぶてといふ。「変成金」は、「変成」はかへなすといふ。「金」はこがねといふ。かはら・つぶてをこがねにかへなさしめんがごとしとたとへたまへるなり。れふし・あき人、さまざまのものはみな、いし・かはら・つぶてのごとくなるわれらなり。
『唯信鈔文意』 浄土真宗聖典(註釈版)708頁

 

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