よもやま話

日常の生活の中で生きるヒントを見つけたいと思います

正覚寺と太平記

里見時成

福井県坂井市丸岡町にある称念寺では、
今年 新田義貞の686回忌の法要を勤めるようですが、
新田義貞とともに越前に逃れて、金ヶ崎の戦いで壮絶な討ち死にをした、
正覚寺ゆかりの武将、里見伊賀守時成も686回忌になります。

伝承では里見時成の子、里見成純が、正覚寺(元は妙観寺)の開基とされています。

幼子が討手を逃れ片上の地にかくまわれ出家し、禅宗の草庵をつくったのが後の正覚寺です。

父親や親族たちの壮絶な討ち死にを目前にして成純は、
怨憎を超えてさとりの智慧をうる仏道を求めたのだろうと思います。

争いのない、怨親平等(おんしんびょうどう)の願いを伝える、それが正覚寺が創設された所以でしょう。

今の世界にも争いが絶えません。怨親平等(おんしんびょうどう)の願いを伝えていきたいと思います。

 

2023.09.27追記
里見成純と勢至丸

私は里見成純と幼少の頃の法然聖人の体験が重なるように思います。

法然聖人は幼少の時の名は勢至丸といいました。
平安時代末の保延7年(1141)、勢至丸9歳の時、稲岡庄の預所(荘園の管理者)をしていた父の漆間時国は、明石定明の夜襲にあい亡くなってしましました。

父の時国は死に臨んで次のような遺言をしたといわれています。

私はこの傷によって死んでいかねばならない。しかし、決して敵を怨まないでほしい。
もし、おまえが敵を討つならば、親から子と憎しみの連鎖は絶えることはないだろう。
私が死にたくはないのと同じように、いのちある者は誰でも死にたくはないだろう。
私は傷つけられると痛いと思う。人もまたそう思うだろう。
私はこのいのちを大切だと思う。人もまたそう思うだろう。
怨みに報いるに、怨みを以てしたならば、ついに、怨みの息むことがない。
怨みをすててこそ息むのだということを心に刻んでほしい。
そして怨みの心をすてて、ともに救われる仏道を歩んでもらいたい。
それが私の願いだ。

 

ダンマパダ5
実にこの世においては、
怨みに報いるに、怨みを以てしたならば、
ついに、怨みの息むことがない。
怨みをすててこそ息む。
これは永遠の真理である。

里見時成については

太平記 越前府軍並金崎後攻事』に記されています
その他には日本通信百科事典など

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