


昨年、若狭三方縄文博物館に行ったのですが、改めて縄文時代に関心をもちました。
特に掲示されていた言葉が印象に残りました。
縄文の心
縄文時代の遺跡からはさまざまな生活道具類が出土しています。他の時代にはあっても縄文遺跡にはないものがあります。それは人と人が集団で殺し合うための道具です。縄文時代に戦争はなかったのです。みんなで助け合い、分かち合って平和な暮らしを1万年以上もつづけました。それは、人類史の奇跡といってもよいでしょう。
AIもSNSもなかったけれど、圧倒的に豊かな自然環境のなかで、みんなで助け合い、分かち合って平和な暮らしをしていた縄文人。
虚偽の情報に惑わされて争い合い、集団で殺し合う道具が発達した現代人。
どちらの心が豊かで、どちらの心が貧しいのだろう。
末法五濁(まっぽうごじょく)ということが現実のこととして思えるようになりました。
五濁
悪世においてあらわれる避けがたい5種のけがれのこと。
①劫濁
時代のけがれ。飢饉や疫病、戦争などの社会悪が増大すること。
②見濁
思想の乱れ。邪悪な思想、見解がはびこること。
③煩悩濁
貪欲(とんよく)・瞋恚(しんに)・愚痴(ぐち)などの煩悩が盛んになること。
④衆生濁
衆生の資質が低下し、十悪をほしいままにすること。
⑤命濁→戦争
衆生の寿命が次第に短くなること。『浄土真宗辞典』
