古方上湖沼の多様な生態系
ラムサール条約湿地「中池見湿地」に行って、鯖江市片上地区も昔はこのように多様な生き物が生息する、自然豊かな湖沼があったのかもしれないと思いました。この地区には古代~中世にかけてかなり大きな湖沼がありました。
『文殊山とかたかみ』より
古方上湖沼は、古い時代ほど面積が広く、深かったことが推定できるが、自然堆積や人為的な埋め立てによって年々その面積が縮小し、浅くなってきたことがうかがえ、いわゆる湖から沼へと変化していったのである。
片上地区の原始、古代の人々にとって、湖沼は狩猟場であり、漁場であり、植物や貝類採取の場であり、生活の糧を得る大切なところで、必要空間であった。湖沼の畔に丸木舟や貝塚が遺存している可能性も高い。
縄文時代から平安時代にかけての遺跡から狩猟具や漁労具が発見されていることは、各時代の人々が湖沼からも生活の糧を得ていたことが理解できる。
藤原忠平の日記、『貞信公記』の延長5年(927)12月5日の条に見える方上荘の荘名も「潟の上(かたのかみ)」いわゆる「湖沼の上(かみ)」に設定された荘園であったから名付けられたと考えられる。
湖沼の一部が福井藩の鴨溜として、その痕跡をとどめていたことが明らかになった。福井藩の鷹場になったことは、地域の住民は「鷹条目」や「鷹場条目請書」にあるように、鷹場の諸鳥は大小によらず一切取ってはいけない、鷹場川筋並びに鴨溜の柳は切り取ってはいけない、禁止されている道より寄場は一切通ってはいけないなどといろいろ制約を受けた。