よもやま話

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吉崎の時代 百姓の暮らし

百姓の暮らし

朝倉氏遺跡博物館には城下町を再現したジオラマがあります。
ジオラマを見ながら百姓たちの暮らしを想像しています。
当時の百姓とはあらゆる職業の人たちを意味していました。

蓮如上人が吉崎に来られたのは文明3年であり、朝倉孝景が勢力を拡大したのも同時期です。

吉崎と朝倉の歴史はリンクしているので、朝倉氏遺跡博物館のジオラマを通じて吉崎に集った人・御坊を建てた職人・多屋で商売をしていた人たちやその家族等の、暮らしをある程度想像することができると思います。もちろん寺内町と城下町のちがいはありますが。

福井県伝統工芸の歴史にも関係していると思います。

惣村が形成され農業や商工業も発達し庶民の権利意識も高まってきた時代でした。

詳しくは千葉乗隆先生の講義録を読んでください。職人写真の後に記載してあります。

 

千葉乗隆先生の講義
百姓という言葉は、中世と近世ではその意味が違っております。中世の百姓と申し
ますのは、まさにその言葉通り、百の姓、あらゆる職業の人達ということです。

村には農耕を営む人達とともに、大工・左官・鍛冶屋、漁をする人、商売をする人など、様々な職業に従事する人が住んでいます。それが百姓なんです。
ところが近世、江戸時代に入りまして、百姓と申しますと農民を指すことになります。


蓮如上人のお子さまの実悟上人が書いた記録に、加賀におきまして、本願寺門徒を中心とする一揆が、守護の富樫政親を倒して「百姓のもちたる国」になったと書いてあります。その百姓というのは、加賀に住むあらゆる職業の人達、全住民の参加する組織によって国の運営がなされるようになったという事です。


本文は福井別院で行われた講習会の内容を千葉先生が加筆訂正なされたもの

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